宝満山・法城窟、大南窟
2008-04-05


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宝満山・法城窟、大南窟
 雑誌「岳人」の連載記事に、立松和平氏が登る「百霊峰巡礼」というものがある。
 今月号(4月号)のそれが、私の地元の宝満山を取り上げていた。記事に、私のまだ行ったことのない「大南窟」のことが書いてあったので、とても興味深く、どこだろうかと行ってみたくなった。それに「竈門岩」も、普通に正面登山道を登ったのでは、見ることができないので、そのことにもふれたかった。さらには、「大南窟」にいたっては、記事の中ではまったく所在がわからないが、写真の「巨大な磐座」は、是非とも見てみたい。いったいどの辺りにあるのか。
 今日の宝満山は、この二つの目的を持って登った。
 正面登山道を、八合目まで登ると、八合目の表示がしてあるところから、道が二手に分かれている。右が普通の正面登山道で、ほとんどの登山者はこちらのほうを登る。記事にあった「竈門岩」は、左の石段を登らなくてはいけない。
 石段を登ると、正面に大岩が立ちふさがる。といってもたいした高さはなく、せいぜい2〜3メートルくらいであろうか。岩の真ん中に切れ目があり、ロープが垂らしてあるので、つかまりながらよじ登るのだが、足場が微妙だし、ザックが邪魔をして登りにくい。非力な女性などは登れないのではなかろうかと心配されるが、なあに、わざわざここを登らなくても左手に巻き道があるので大丈夫だ。最初に来たときに確認はしていたが、今日は、きちんとよじ登りました。
 登りきって少し奥の方に進むと、正面に亀が立ち上がったような大岩がそびえ、右手に仙涯和尚の筆になる言われている「仙竈」との文字が刻まれた竈岩がある。
 さらに奥に下ると正面登山道に合流し、宝満山の山頂はすぐそこだ。
 山頂やキャンプ場には、大会社の新入社員研修とかで大勢が登ってきていた(会社は、九電工だそうで、200人を越える採用だそうでした。景気のいいところはいいのですね。)ので、混雑を避けてキャンプ場から女道を少し下ったところで昼食。
 昼食を終え大南窟を目指そうとしていたときに、大ベテランと思しき先達(何故かそうと見えた。)が、通り過ぎようとされたので、「大南窟」の場所を聞いたところ、やはり知っておられた。すらすらと教えていただいたうえ、このすぐ下に「法城窟」があり、こちらも是非見てくださいとのこと。この「法城窟」は、「宝満山の子宮」と言われていますよ、その上には、「宝満山のペニス」が立っているでしょう、と丁寧に解説もしていただいた。なるほど、窟の真上を見上げると、宝満山山頂の大岩がそそり立っており、いたく感動した。
 「法城窟」は、キャンプ場から女道をほんの少し下り、大石への分岐をやり過ごしたところに、右に道がある。古ぼけた標識が立っているが、わかりにくい。踏み跡をたどると、正面右に大杉が入り口を塞ぐようにもたれ掛かっている。窟の中は真っ暗でランプがないと入りにくい。ランプは常時携行しているので、取り出して中に入る。中は、岩場の登りとなっており、奥行き10mほどであろうか。きちんと立ったまま行動できる広さがある。中には首のとれた石仏などが安置されており、ちょっと不気味だ。
 女道に引き返してまた少し下るとすぐに、左手に水場があり、それを見ながら女道をさらに3m下れば、左に大谷尾根道への道が分かれる。左折して少し下れば、大谷尾根道への案内があるのでそこを右折する。また少し下れば、右にかもしか新道の案内がある。丸太を斜めに切った跡には、「かもしか新道分かれ」と書かれているので間違いなくそこを右に。
 しばらく下ると、かもしか新道とかもしか旧道の分岐に出る。右の急登が新道で、直進して下るのが旧道だ。旧道へ5分程下ったところにそれらしい踏み跡があったが、確信がもてない。「大南窟」へは新道、旧道どちらから行ったがいいのかさえもよくわからないので、もう一度さっきの新道への分岐点まで引き返し、ひとまず右へ新道のほうを登る。

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